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「認知の歪み」の誤用とネガティブ語感問題

認知の歪み

認知心理学における認知の歪みは、精神障害によく見られる有害な認知を分類したもので、有害な認知を見つけたり変容させるためにつかう。認知の歪みのパターンをつかっていろんな角度から認知をチェックして有害な考えがないかを見つけてそれを有害ではないものに変容させ病気を治そうというもの (認知の歪みのパターンにあてはまらなくても有害であれば、そうではないものに変容させる)

たとえば、ある認知が鬱病の病気の一因となっているとしたら、その認知は当人にダメージを与えている。そういった認知のパターンをまとめたものが「認知の歪み」。認知の歪みのパターンに当てはまる思考をしたとしても有害でなければ問題ない (モラルの問題などの文脈は考慮ない)

※ここでは「有害な」という言葉はその認知を持っている本人がダメージを受ける・悪影響を受けるという意味で使っている。

認知の歪みの誤用?

そもそも認知心理学以外の領域で「認知の歪み」という言葉が存在したのかを無知ゆえに知らないが、SNSで他者を避難・罵倒する意味や自虐的な意味で「認知が歪む」という言葉を使うことを稀に見たことがある。

病名などの病気に関わる言葉は、他人を差別・罵倒する用語として使われるようになりがちなのでその一つなのだろう。認知心理学ではない文脈で使われる「認知の歪み」は本来の意味とは全く異なる俗語になった。語感がネガティブなのと、動詞にしやすいので本来とは異なる意味に傾きやすそうだ

語感がネガティブ問題

「認知の歪み」という言葉自体がネガティブなイメージを与えるので別の言葉にしたほうがいいのでは・・・という意見をどこかで見た。実際そうだと思うので、中立的かつ罵倒に使われにくそうな用語に変えたほうがいいかもしれない。「自傷的認知」とか…専門家の方々でなんかいい感じの用語を編み出してくれたりしてないのだろうか…

患者目線でも「認知の歪み」のパターンがどうこうよりもセルフヘルプのためのわかりやすい用語があるのではないかと思うし、ネガティブな語感にメンタルが引きずられたりすることも減るのではと思う (誤用的な使用によりネガティブな意味が連想されるのもよくない)